相違を認める
- 社長メッセージ
皆さんこんにちは。
蒸し暑く感じる日も増えてまいりました。梅雨ももうすぐ。体調管理にはお気を付けください。
さて、今回は社内で行った研修にて気づいたことを記します。
今回の研修は簡単に言ってしまえば顧客志向を徹底して実践できているか
どうかをチェックし、できていない要因があればその真因を探る研修内容でした。
個人個人の特性や違いはありますが、最大の障害は「違いを受け入れることが出来ない」
ことです。具体的には他人の否定的なご意見を受け止めきれず、結果として遠ざけたり、
人によっては拒絶やあきらめという反応を示します。
見方を変えれば人間らしい反応とも言えますが、厳しい見方をすれば稚拙とも言えます。
自分と意見や考え方が異なる人を避けるという判断は、障害から距離をとることによって
心の安定を保とうとする行為です。しかし、そもそもの障害はなくなるわけでは無いので
気まずさやどこか落ち着かない部分が残るのではないでしょうか?
私自身はこのような気まずさや、落ち着かない気持ちを抱いたままやり過ごせないタイプ
ですので、本当の意味で上記のタイプの人の心の内は解りません。
また、「袖触り合うも他生の縁」ということわざがあります。
何気ない出会いであっても前世では深い縁があったかもしれないので「袖が触れ合った」
程度の出会いでも感謝し大事にしなさいとする仏教の教えです。
そう考えると「見解の相違」は「袖が触れる」以上の濃密な出会いです。
そのせっかくの出会いを「見解の相違」という理由で拒絶するのは、とてももったいないことです。
自分自身は仕事を始めたころに大きな転機がありました。
当時自分は新入社員で、相手は他部門の上司でした。書類の方向が揃っていないと言っては
提出した書類を投げ捨てられ、時には受注を頂いたのに「イイ気になるな」と罵倒され
当時22歳の私は全く理解できず、理解できないどころか憤慨していました。
また、20歳も年上の上司ですから簡単には解決しませんでした。
その後もネチネチと理不尽な言葉を投げかけられ続け、約1年ほどが経ったかと思います。
ある時、我慢しかねてその上司に直接言いました。
「なぜあなたは私に対して尊大で理不尽な態度をとるのか」と。
最初は上司は適当な言葉を並べて、私が言われて当然のような話をしました。
しかし、私の怒りは沸点に達していましたので私の仕事の進め方や品質、考え方や行動の
どこが具体的に悪いのか、他の社員と比べて何が悪いのかを徹底的に問いただしました。
時間は2時間ぐらいだったでしょうか?
最終的に、その上司は私を見込んでいたので厳しく育てようと思ったということと、その反面、
驚いたのですが、大学出ということで私にジェラシーを感じ、職責からくるストレスも相まって
そのような対応をしたのだと言いました。
その時にそれまで沸点に達していた怒りがスッと消えたことを思い出します。
「この人はこの人で大変なんだ」と。
この一件があってから、人対人の不和に関しては「納得いくまで話す」を基本としています。
幸いにも納得できずに終わったことは一度もありません。時には時間が掛かっても必ず氷解しました。
振り返るとすべてが人生に起きた善き想い出となり、彩りを鮮やかにしてくれていることに気付きます。
見解の相違からくる軋轢を乗り越えず、それらの関係の人を切り捨ててきたとしたら、
むしろうすら寒く感じます。
(西田幾太郎記念館からの眺めです。美しい景色もモノクロでしか見えないとしたら残念です)
お客様であれ、社員同士であれ、家族であれ、様々な人との関係において「見解の相違」は存在します。
「見解の相違」はどちらかが合っているのか違っているのかという問題ではありません。
どちらも相手にとっては真実なのです。従って積極的に傾聴し認め合うことが正しい選択肢なのです。
そこには新たな相手のこれまで見えていなかった一面が必ずあります。
人生を心豊かに生きるためにも「見解の相違」を積極的に認めることをお勧めします。
アルスホーム企業理念3章「対話を重ねて感動を共有する」
同3章2項「高い視点で傾聴、熟考しよう」
同3章3項「感動の心で人の輪を広げよう」
以上を結びとします。