知らないを識る
- 社長メッセージ
皆さんこんにちは。
来週から3月です。
3月と聞いただけで冬の終わりを感じ、気持ちが明るくなります。
さて、今回は「知らない事」について考えてみます。
よく「知ったかぶり」という言葉があります。
これは、実は知らないのに知っているように見せるという事です。
この「知ったかぶり」は二つに分ける事ができます。
一つは本人が知らないということを認識して、あたかも
知っているように振る舞うケースです。
もう一つは本人が知らないということを認識しないまま
知っているように振る舞うケースです。
先の本人が知らないことを認識しているケースは今後の
対処としては単純です。
知らないことを知っているように見せないという正しい対処方法
を習慣化させることと、知らないことは事前に調べるか、事後に
調べるかをして正しい知識を身につければ良いだけの話です。
難しいのは後者の本人が知らないということを認識
できていないケースです。
本人が認識していないので修正が難しいのです。
話はそれますが、およそ我々がいかにものを知らないか?を
理解する事ができる場所があります。
それは、本屋さんです。
通常は、自分の興味のあるコーナーに立ち寄ったり、目当ての
雑誌や本を購入するのが一般的な本屋さんの使用方法かと思います。
しかし見方を変えると、世の中たくさんの人がいて、それぞれ
一人一人の知的欲求をおよそ満たす事ができるよう品揃えされている
場所と捉えると、自分以外の人の興味が可視化されていると言えます。
そいう視点で興味を持って書店を丹念に歩くと、自分が知らない事が
圧倒的に多く、自分の持つ知識量なんてほんのごく一部だと気付かされます。
そういう事実を踏まえると、我々はごく一部の断片的な知識をもとに
意思決定しながら暮らしているのです。
そこで、自分が知らないということに如何に気付くかが大事になります。
一つの対処方法として私が心がけているのは、
「説明できるかどうか」自身に問いかけるようにしています。
例えば私は立場上、色々な決裁を行うのですが、
概略レベルでも構わないので、説明できるかどうかを基準に
あらゆる上申事項を見るようにしています。
知っている気になっていて、実は説明できないことって
実はたくさんあると思います。怖いのは、実は知らないことに
慣れて「流す」事が習慣化してしまうことです。
知らないということを識るのは、謙虚な気持ちで物事に
接する事ができますし、学びの量が格段に違います。
責任ある良い仕事、良き人生を歩むためにも
「知らないを識る」ことはとても大事です。
(コロナが収まったら行きたい建築物です。
一つは隈研吾氏監修の角川武蔵野ミュージアム、もう一つは安藤忠雄氏によるこども本の森です)
人生とは生涯学び続けるところに愉しさがあるのかも知れませんね。