拗れの構図
- 社長メッセージ
皆さんこんにちは。
今日は思いの外、雪が積もりましたね。
さて、今回は職場の人間関係について記します。
私は立場上、職場内の人間関係の問題に対処する機会が多いのですが、
その対処のプロセスで一定の共通項が見えてまいりましたので、整理
してみたいと思います。
まず、人間関係が拗れる端緒は「事実誤認」です。
もっと詳しく言えば、事実に対してさまざまな憶測や推察を
心に抱くのが人間の常です。
しかしながら、「拗れ」のほとんどはこの憶測や推察をあたかも
「事実」であるかのように認識することから始まります。
起きた事柄に対してさまざまな感情を抱くのはごく自然な反応ですが、
起きた事実と心に湧きあがった感情や憶測、疑念とは分けて、
あくまでも起きた事実を判断の基準とすべきです。
次に拗らせる原因は「信頼の欠如」です。
物事が起こる前から相手を疑念の目で見たり、相手に対して猜疑心を
抱いている場合は全ての事実を歪曲して知覚することになります。
歪曲された知覚からは正しい対応を望むことは出来ません。
したがって、解決に向かうどころか相手に対する猜疑心をさらに
増幅することにつながり、誤った知覚は誤った行動を選択し
問題をさらに複雑化させることになります。
この時点で「事実誤認」に「猜疑心の増幅」が加わっており、
解決に向けた適正な対応を取ることはほぼ不可能です。
一般的には、正しい対応どころか混迷を極めることがほとんどです。
そういう悲しき習性を併せ持つ人間ですが、最後の歯止めとなる
大事な考え方があります。
それは、自分にとっては疑いようのない事実であっても
「自分は万全ではない存在であり、間違いを犯す可能性が常にある」
という自制心を常に持ち続けることです。
私もこれまでさまざまな失敗をしてきましたが、自分の認識に
従って突っ走る前に「自分が間違っている可能性」を念頭におく
ことによって、結果的に誤った判断を回避できた経験が何度もあります。
自分を見渡して気持ちの良くない人間関係がある人は下記の
3つの点を自己チェックしてみてください。
①常に事実と感情や推察と分けて認識するようにしているか?
②相手にそもそもマイナスの感情を持っていないか?
③自分は万全でない存在であるという認識があるか?
最後にまとめますと、いかなる相手であれ「善なる存在」として
相手を信じるところから前向きな解決が始まります。
さまざまな行き違いは日常的にたくさんありますが、いついかなる
時でも「相手は善である」と思い対処すればほとんどの問題は適切に
解決できます。
そして、何より相手を信じることに決めた瞬間から、これまでの苦悶が
嘘であったかのように気持ちが楽になります。
正しい知覚の仕方を習慣化して幸せな人間関係に満たされると
良いですね。そういう関係が増えることを切に願っています。