明治時代のプライベート空間
こんにちは。設計部の平岡です。
今年は暖冬と言われるだけあって、朝に雪が積もっていても昼過ぎにはほとんど解けていますね。
私は昨年まで京都に住んでいたので、雪道での車の運転経験がほとんどなく、朝カーテンを開けて雪が積もっている日は少し気合を入れて運転しています。
皆さまも雪道での交通事故にはお気をつけください。
今回は先日日帰りで行った京都旅行についてお話します。
「明日の休みはどう過ごそうか」と考えていたときに、ふと「そうだ京都、行こう」と思い、翌日始発に乗り行ってきました。
以前から庭園が有名な無鄰菴に行きたくて調べていると、ちょうど今の時期に「別荘、別邸、旧宅。冬にめぐる明治のプライベート空間」という1枚のチケットで3施設入場できる企画がありました。場所もすべて左京区内で、学生時代近くに住んでいたこともあり道もわかるので、1日かけて明治時代の京都を体感しようと決めました。
まず最初に向かったのは、山縣有朋の別荘「無鄰菴」です。
庭園と母屋、洋館、茶室の3つの建物で構成されていて、庭園は七代目小川治兵衛によって作庭されました。
庭の外にある自然を背景とする「借景」という造園技法はよくありますが、無鄰菴の庭は正面に見える東山を主山とし造られたそうです。母屋から眺める美しい景色はとても開放的で気持ちよく、琵琶湖疏水の流れが心地よい贅沢な空間でした。
次に、三井家の別邸「旧三井家下鴨別邸」へ行きました。
三井家の別邸は昭和24年に国へ譲渡され、昭和26年以降の19年間、京都家庭裁判所の所長宿舎として使用されていました。玄関棟、主屋、茶室が渡り廊下で接続されていて、こちらも広い庭園に囲われています。
この建築の特徴である主屋3階の望楼は、特別公開の時期ではなかったので残念ながら見学することはできませんでした。また今度、四方ガラス窓から東山の美しい眺望を楽しむため、リベンジしたいと思います!
次に、旧宅「岩倉具視幽棲旧宅」へ行きました。
岩倉駅から歩いて20分ほどの静かな住宅街の中にあるここは、京都から追放された岩倉具視が3年間隠れ住んだ旧宅です。
建築自体は質素でありながらも、縁側に座ると真正面にある大きな松の木の存在感に圧倒されます。この場所で岩倉具視は何を思い、どんな暮らしをしていたのでしょう。
今回の旅で、明治時代を築いていた人々の暮らしの空間を体感してきました。
家づくりの考え方や人々の暮らし方など、時代の流れとともに変化するのは当然ですが、美しいものを見て感動する気持ちは明治でも現在の平成でも変わらないのではないでしょうか。
アルスホームの企業理念の一文に「美しい家を創ろう」と あります。美しいと思うものは人それぞれありますが、次の時代に変わっても誰もが感じる美しい空間を探し求めていきたいと思います。
最後に電車まで時間があったので、今年の干支であるイノシシが祀られている「護王神社」に、家族の健康を願い参拝しました。(私も両親も亥生まれです)