自分を信じる
経営管理部 見角勝弘です。
2019年アルスホームブログの掉尾を飾るのは、猛暑の中で出会ったある言葉。
ご一読ください。
高校球児の「自分を信じて頑張ります」という言葉に共感した。
ただでさえ私たちを惹きつける彼らであるが、「自分を信じる」という言葉が琴線に触れたのだった。
なぜだろう。
「自分を信じる」ということが、人間のある真実を映し出している。
そう感じたからかもしれない。
人生を生きるとは、もの心がついたころから大海原に向かって泳ぎだすようなものである。
行く先はどこなのか、行った先には何が待っているのか、まったくわからない。
その終わりがいつなのかもわからない。
そのうえ、決して後戻りすることのない、一方通行前進のみのひとり旅である。
むろん、生涯ひとりというわけではない。
ある瞬間、ある瞬間に並走してくれる人がいる。
親兄弟祖父母、先輩後輩上司部下同僚、夫妻子供孫、親戚、知人友人、その他もろもろの人たち。そして、その人たちとの信頼関係は、前へ進む自分の大きな支えになっているはずである。
だがしかし、本当の本当、最後の最後に自分が信じるもの、信じられる相手とは一体誰なのだろうか。
最後は、自分で決めていたのではないか。
内なる声にしたがってきたのではないか。
いろいろあっても、つまりは自分が決めてきた。自分を信じて決めてきたのである。
そうではない、様々な人に導いてもらったという声も当然にある。
しかしそれは、信頼する相手を選んだ自分の判断を信じてきた、ということに他ならないのである。
前置きが長くなった。
なぜ私は、高校球児の言葉に共感したのだろうか。
それを当たり前のことだとしたにもかかわらずである。
考えてもみたい。
実際には、50点の努力であっても勇気をふるって踏み出すしかない。
90点の努力であっても、なお10点の不安は残る。
100点満点の努力など、ない話である。
ならば、何点であろうと合格点に達していようといまいと、自分を信じるしかないのである。
私が惹きつけられたのは、「自分を信じる」ということを正々堂々と言葉にする、その姿なのであった。
どんな点数であっても自分を信じなければやっていけない。
しかし、そうであることをきちんと表明できるのは、じつはほんの一握りの人たち。
言いかえれば、全力を費やし努力を重ねてきた人たちだけなのではないかと思う。
そんな人たちでさえ、自分の努力に100点をつけることはないだろう。
しかしながら、正々堂々と「自分を信じる」と言葉にすることで、実は、これまでの自分の努力に満点をつけているのである。
だからこそ、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があり、「勝負は時の運」という言葉がいきてくる。
「勝っても反省、負けても成長」というふうに現実を受けとめることができるのである。
越境入学で一流選手を集める野球部から聞こえる 「自分を信じる」
創部間もない少ない部員数で初めて予選に出場する野球部から聞こえる 「自分を信じる」
進学校でありながら青春をぶつける野球部から聞こえる 「自分を信じる」
傍(はた)からみれば様々な点数の「自分を信じる」がある。
でもそれは、胸を張って表明した瞬間に自らの中で100点にかわる。
そうやって発信するその姿勢に、その心に、その面持ちに、そしてこれまで積み重ねてきたであろう努力の跡に共感したのだと思う。
熱い夏、久しぶりのテレビ桟敷。キラリと光ったその言葉が、姿勢を正せと背中を押してくれたように感じたのだった。