「吾唯足知」という生き方

最終更新日:2020.03.10

こんにちは、富山第二支店工事課の荒木です。

3月をむかえ日増しに暖かくなって参りましたね。今年はコロナウイルスが蔓延したことにより様々な面で皆様の生活に影響が生じたかと思いますが、体調管理を含めご自愛いただきたく思います。

さて私事の報告となりますが、私は昨年受験しました「一級建築士試験・製図試験」に無事合格することができました。以前よりブログでも試験勉強の様子について報告させていただいていましたが、苦節3年の末、ようやくこの場で色良い報告をすることができ安堵しています。(笑)

建築士試験の試験制度を簡単に説明しますと、7月実施の「学科試験」と10月実施の「設計製図試験」の2回に分けて行われるのですが、学科試験を通過しますと翌年、翌々年の学科試験は免除される仕組みとなっております。つまり、製図試験3年目の私にとっては背水の陣ともいえるべき状況で、この1年間は正直、心中穏やかではありませんでした。また、受難は続き、10月の本試験に準備万端で臨もうとしたところ、台風接近により試験が12月に延期に…。神様は私に何か恨みでもあるのでしょうか…。

さて異例の変更もありながらも無事試験を乗り切ったわけですが、製図試験の勉強を通して、学んだことについて少しお話できればと思います。

製図試験は実質、正解がない試験と言われており、言ってしまえば「課題条件を法令・常識的にクリアしていれば、どのような形でプランを計画しても良い」という自由度の高い試験です。もちろん試験時間にも制限があるため、時間配分を考えながらプランの作成に見切りをつける必要があります。

そのため資格学校の授業では、プランをまとめる上での『最低限守るべき点』と『諦める点』を自分の中で明確にして、優先度を意識する訓練をしていました。

後になって振返ると、この考え方は「吾唯足知」という言葉に似ているな、と思いました。この言葉は龍安寺の蹲に彫られているもので、下図の写真の通り蹲の中央の水穴がそれぞれの漢字の部首を成しているという面白いつくりとなっています。 

読み方は時計回りに「吾唯足知(われただたるをしる)」と読むのですが、私はこの言葉を、「自分にとって必要なもの、必要な量を知ることが幸せにつながる。」という意味だと解釈しています。

全てを求めるのではなく、その状況で何が必要で何が不要なのかを見極める。本番の試験でも自分の意志で見極めたことが結果につながったのだと感じました。

この考え方は普段の生活や仕事においても、もちろん応用できると思います。3年間の勉強で培った考え方を活かし、今度は1級建築士の立場の元、「吾唯足知」の判断ができるよう目指していきたいです。

 

また最後にこの場を借りて、試験期間中に応援していただいた家族、友人、資格学校の関係者様、並びに、業務を支えていただいた社員各位に、お礼を申し上げます。