少し手間のかかることが自分にゆとりを与えてくれる
皆さんこんにちは。
金沢支店設計課の番匠です。
今日は二十五侯の「蟷螂生」、次候は「腐草為蛍(腐れたる草蛍となる)」です。
暦どおり我が家の周りでは6月に入ってから少しづつ蛍が舞い始めました。
時代が変わっても変わらぬ自然のサイクルにはいつも畏敬の念を感じさせられます。
そんな自然の力を生活にも取り入れたいと思い、最近私は暮らしにハーブを取り入れるのが密かな楽しみです。
(我が家で採れる和洋のハーブたち)
以前からも料理には使っていましたが、庭のハーブが結構充実してきましたので、ドライハーブを玄関に吊るしてみたり、お風呂に入れたりなど、食べる意外にもいろいろな活用方法を試しています。
ハーブを活用していて良いと思う点は、その効能や自分で作る喜びなどもありますが、一番は良い意味で手間がかかる点ではないかと最近思うようになりました。
『少し手間のかかることが自分にゆとりを与えてくれる』
これは、石田紀佳著「魔女入門 暮らしを楽しくする七十二侯の手仕事」に書かれていた言葉ですが、この言葉はそのことをうまく表現してくれています。
(自然の恵みの力を利用して暮らす知恵を魔女になぞらえて書かれている良本です)
よく生活を充実させる方法として「時短」が取り上げられます。
確かに忙しい日常ではなるべく時間と手間を省いて自分時間を充実させることは大切だと思いますが、案外気持ちのせわしなさは解消されず、あれもこれもやろうとしてしまい、むしろ余計に気忙しくしてしまっているような気がします。
逆に、自分で収穫したものを手間をかけて加工したり、少し手のかかる料理をしたり、コンビニまで歩いてみたり、そうやってあえて時間がかかるやり方をした時のほうが、気持ちにゆとりが生まれ、充実感も得られているように思います。
(ローズマリーは手軽にいろんな楽しみ方ができます)
『四季と暮らす日本人の感性を大切にします』
アルスホーム設計コンセプト「5つの約束」の一節です。
情報過多で皆が忙しくしている現代では特に、目線を外に向けてゆっくりした時間を過ごすことが、上質でゆとりある日常を過ごせる一番の近道なのかもしれませんね。