世界の椅子
こんにちは、福井支店の界です。
今夏に両親の家を建築しました。
『建築』といいましても新築のような華々しいプロジェクトではなく、
古家を購入しそれの改装を当社にて携わった程度です。
ただ、両親にとっては一大イベントでした。
と、申しますのもこれまで両親は諸事情により持家の経験がなく、
賃貸や借家での生活が長く続いておりました。
還暦を過ぎ、老後をどのように過ごすかを見つめなおし、
今回の計画に踏み切った次第です。
この『どのように過ごすか』、様々なことを考えます。
徒歩圏内の利便性、公共交通機関の有無、独立した子供との距離感、病院の有無、老後の資金配分…
さまざまな与条件から機能的な要件を詰めます。
古家の候補が絞られ、条件がまとまり、いざ方向性を決める段となった時、
父からの改装費用についての質問が多いことにふと気づきます。
限られた資金であるため、改装費用が詰め気味な配分であることは理解してましたが、
それが父の想いとはズレているのでは?と感じる瞬間でした。
想いを確かめる為に計画を丁寧に話すと、
潜在的に父が広がりある暮らしを求めていると気づかされます。
その時の、どこか条件合わせの仕事になってしまっている自分を見透かされたような、
強烈な羞恥心を覚えたことを記憶しています。
そこから改めて改装計画を見つめ直します。
(改装前の古家の様子です。)
まずこの古家は鉄筋コンクリート造であったため、比較的自由なレイアウト変更が可能でした。
また幸いなことに、庭を愛でる為の大きな窓も特徴的です。
(後で知りますが、この家はとある名士の週末住宅として設計されていたそうです。)
これら先人が残してくれた建築の良さを活かし、広がりある空間を模索しなおします。
そしてその空間の居心地を見直す一番のきっかけとなったのは母の持っていた一冊の雑誌です。
(『暮しの設計』という雑誌です。今号の出版はなんと1979年‼)
何の変哲もない普通のインテリア雑誌なのですが、
幾重にも付箋が貼られたまま40年という年月が経過しています。
母は40年間もこの『世界の椅子』に想いを馳せていたと初めて知ります。
ここでも気づかされます。
ともすれば見落とされてしまうような、ほんのささやかな営みにこそ、軽んじられるものが一切ないほどの背景が詰まっていることもあるのだと。
私に不足していたのは、暮らしを刷新に導く能力ではなく、連綿と紡がれているその文脈に立ち会わさせて頂くという謙虚さだったと学ばさせて頂きました。
もしかしたらこれらの文脈を紡ぐことが、やがて住み継がれていく愛着となるのかもしれません。
そこからの委細は省きますが、計画は無事に竣工を迎え、
両親は今日も秋の時節を楽しんでおります。
もちろん、世界の椅子に座りながら。
(この場を借りて計画に携わって頂いた金沢支店の皆様には感謝申し上げます!)