あきらめる。
富山第2支店営業課の古野です。
新緑と黄金色した麦畑のコントラストが美しい麦秋となり、外出すると少し汗ばむ日も増えてきましたね。
さて外出を控えたこの2年で子供の頃読書感想文の宿題が苦手だった私でも50冊以上の本を読了していました。
最近その中の1冊を読んで初めて知ったことが「諦める」の語源です。
私も含め多くの方は、放棄、断念、挫折、ギブアップなどの言葉をイメージすると思います。ところが本来はマイナス的な言葉ではなく「明らむ」。つまり物事の道理を明らかにし詳らかにすることらしいのです。
漢字辞典や仏教用語では、
諦:あきらかに ものの真実をよく見る 仏教:見きわめられた道理、真理、真実
だそうです・・・・知らんかった
日々生きていれば自分の思ったように事が運ばないことは多々あります。仕事、家庭、友人関係、趣味、部活などで「自分には向いてへん」「やっぱり無理」「勝てるわけないやん」「あの人とは無理」「もうやめとこ」(何回言うてきたやろか・・・)
でも本来の語源からすると、「向いてへんって感じたのは何で?」「どうすれば出来るようになる?」「どうやったら勝てる?」「あの人ともこんな距離感ならいけるんちゃう?」「こうすれば続けられるかも」こんな風に解釈できますよね。
同じ場面に遭遇しても本来の語源のような解釈を出来るように心がけてはいますが、なかなか毎回とはいかないものです。
お客様と一緒に住まいづくりをしていると、どうしても予算の関係でお客様がご要望を「諦める」場面に出くわします。そんな時はそのご要望が「ほんまにやりたいことなんか?」「ほんまに実現不可能なんか?」
ここを一緒に考えて「諦める」のではなくて「明らかに」出来れば皆さんにとっても素敵な人生を送れる自分たちらしい住まいになるやろなって考えています。
でもそれらを明らかにするには、表面上の言葉や現在のことだけではなくて、過去や未来、言葉に出来ない潜在的な欲求にまで触れることが出来れば良いのですが、まだまだ人間的な厚みや見識、見通す力などが足りないことは「明らか」なので諦めずに日々修行します。