『自分のカラダ』
立冬が過ぎたこの季節は、インフルエンザ予防接種と健康診断が始まるタイミング。
コロナ禍にすっかり鳴りをひそめたインフルエンザには、接種費用の一部を会社が負担し、
予期せぬ感染拡大の防止につとめるという施策である。
そして、年に一度の健康診断。
私はというと一足先に受診を終え、手元にはすでに受診結果一覧が届いている。
長い間、結果の欄に「H:基準値より高い」が並び「これじゃあ健康診断でなく不健康
診断だぜ」と自嘲(じちょう)したものだった。
あるとき、家族から「足が細くてうらやましい」という声がかかった。
また、朝礼に行うラジオ体操で、両足つま先立ちのバランスが取れないということに気づき、
えらく落胆したことも重なった。
足が細いということは確かにある年齢層からするとうらやましいのかもしれないが、
ある年齢を超えた層にしてみれば赤信号点滅という事態なのである。
しりの肉がおち、太ももからふくらはぎが細くなる。反対に、上半身は相変わらずという
中高年にありがちな体型へ着実に近づいているということなのだ。
大学まで続けた部活動全盛期に60センチ余りあった太ももまわりが、今やなんと50センチを
割りこみそうなありさまに。
さもありなん、というやつである。
このままの状態が進むとどうなるのか、健康診断の意義や、その結果をきちんと受けとめる
ことの大切さに気づかされた。
遅きに失した感は大いにあるものの、いま一度、健康診断結果を読みかえすことから
始めなければならないと思ったのだ。
そうすると、それぞれの診断項目が何を表しているのか、基準値にどんな意味があるのか、
今の状態が自分のカラダにどんな影響を与えるのかということがよくわかってくるし、
ではこの数値を改善するにはどうすればよいのかという思考回路にむすびつく。
できれば医薬品や健康食品などに頼らずに、である。
そんなとき次の言葉が浮かんできた。
「健全な精神は、健全な肉体に宿る」
子どものころからよく耳にしたものであり、ネット検索では、その語源や解釈の仕方について
諸説とびかい、ホントのところは明らかではない。
とりわけ、現代の世情に照らし合わせれば、そのままうのみにすることができないのも確かである。
しかしながら、多くの時代を超えてなお語り継がれているのには、それ相応の理由があるはずなのだ。
“健全な精神”を保つこと、はそんなに簡単なことではない。
それは、自分でのコントロールを超えたところにあるものだからだ。
わたしたちは周囲の人たちとの関係の中に生きている。
その関係に生み出される喜怒哀楽に大きく影響を受けるものなのだ。
だから、肉体が健全であれば精神が保たれるというものではないように考える。
一方 “健全な肉体”はというと。
“精神”の影響はさすがに受けるものの、自分でコントロールすることのできるものだと考えた。
自分がかかわるものの中で、極めて限られた、数少ない自分でコントロールできるものの一つだと
思ったのだ。
どんなに注意をしていても病がやってくる瞬間はある。
それでも、そのときまではコントロールしようと取組めばできるもののはずなのだ。
スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋 ... が終わり、冬に入るころに行われる健康診断。
冬の先にやがて訪れる春をどのようカラダで迎えるのか。
暖をとりながら自分のカラダを読み解くことにあててみるのはどうだろう。
健康診断結果を傍らに置き、生活態度、食生活、あわせて日々の暮らし方について
思いを馳せる時間をもつにはとても良い機会になると思うのだ。
経営管理部 見角勝弘