学ぶことの意味

最終更新日:2023.10.25

こんにちは、富山第二支店営業課の大河です。

この頃、特に朝晩は冬の気配を感じさせる肌寒さですね。 

先日とあるエッセイを読んだ際に、印象的な一節がありました。

「先生、知ることは動揺を鎮めるね!」
「学ぶことの意味はほとんどそれです」 

40代になってから義務教育の学習範囲を学び直すために大学生の家庭教師を雇った著者と、
その家庭教師との会話です。
 

特に社会人になってから、年々「知りたい」という欲求が強まっているように感じています。 

地域ニュースや世界情勢や社会の仕組み、
住宅ではなく他業種はどんな仕事をしているのか、
ハーブを使って肉料理を作ったら料理が得意とはいえない自分でもどのくらい美味しくできるのか、
ラフティングで川を下ったら怖いのか楽しいのか等々、
関心の矛先は多岐に渡ります。
 


(楽しかったです)

これらは様々なお客様の家づくりを通して、たくさんの方の趣味や人生観に触れる機会を与えてもらった事の影響は大きいと思います。
お客様から多くのきっかけを頂き、物事を「知りたい」と思うようになりました。
 

きっかけはそこからですが、内容によってはこの知識や経験はどこに活きるのか?、自分自身に何をもたらすのか、ふと疑問に思う事があります。 

ですが冒頭の一節から、多岐に渡って知る事で物事を俯瞰して見ることが出来るようになったり、関連づけた上で高い解像度で理解する事が出来るようになったり、結果的にあらゆる事に惑わされず冷静に対処できるようになるのだろうなと感じました。 

孔子は『論語』で四十にして不惑との言葉を残しています。私は一刻も早く「而立」を成し遂げる方が優先事項ではありますが、来る時までに惑う事がないよう、日々「知ること」を追求していきたいと思います。 


(最近、建築の歴史の勉強をする機会があり、そのなかで興味を持った「寝殿造」の建築様式が気になりすぎて京都御所に足を延ばした際の写真です。現在の営業職においては、この経験がすぐ活きてくるシーンは全く思いつきませんが、いつかどこかのタイミングで私の動揺を鎮めるために一役買ってくれると信じています…)